<短歌>5月を振り返ってみる。

 5月が終わった。

 5月は短歌ばかり詠んでいた。「笑う」というテーマがしっくりきたのか、マスノ師(マンガ評論家、宗教的指導者)のブログで何首か紹介された。自分で言うのもなんだが結構善戦したと思う。

 だって、なんだかものすごい歌を詠む人、それも大学時代から短歌を作り続けてきた人とか、そんなんばっかなのだ。僕なんか、これまで30年間、短歌なんて電信柱とか海上保険とか、まあなんだか分からないけどその程度にしか気にしてこなかった。

 「『この人の短歌は、短歌が面白いというより、この人が面白いのでは』」とマスノ師に言われた。ばれてるなぁ、と感じる。僕の短歌は実は、面白いストーリーやはっとするワンショットを短歌のリズムを借りて言っているだけなのだ。5月の歌を並べてみると分かると思う。

●庭先でゆっくり死んでゆくシロがちょっと笑った夏休みです
●笑うしかないほど寝坊した朝もインドネシアは常夏だろう
●愛妻を待ち受け画像にする竹田 微笑ましいぜ ゲロ吐いてやる
●もう一度僕を「ふふん」と笑ったら君の大事な猫を殺すよ
●路地裏でにやりと笑う黒猫に僕の行為をすべて見られた

 いい短歌というのは、なんというか、「ことば」そのものとして愛でたくなるものだ。持ち帰って標本箱に綿入りで詰めて、時々机の引き出しからそれを出してにやにや眺めたくなる、そんな魅力が必要なんだと思う。僕はそういう「短歌」は、作っていない。

 中学の終わりぐらいから意識的・自発的に「ことば」を使うようになって、最初にはまった罠が、そんな「愛でたくなる」系統のことばだった。人生に大した中身のない時期にこういうことばに引っかかってしまうと、文章を書くという行為が現実から切り離されてしまうことがある。無内容のことばを近視眼的に見つめる癖がつくと、「着飾ったブス」の作品がいっぱいできる。着飾ってるから満足できてしまう。でもブスだから天然の美しさは求められなくて、仕方なく浜崎あゆみとか藤原紀香とか、有名な人の物真似メイクでごまかしていくしかない、そんな文章だ。

 そこから逃れられて、ことばに言わせられているような状態から、ちゃんとことばをこき使えるようになるには、随分と時間がかかった。

 年を食い、そこそこすっぴんでも個性的な顔立ちの自分を見つけられた今、もう一度「化粧のしかた」を習い直してみるのも楽しいかもな、と思う。今度は、自分に似合う風に着飾ることができるかもしれない。

 まあ、誰かの机の引き出しの中にこっそりとっておいてもらえるような短歌が一首でも作れたらいうことないんだけどね。
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by AyatoSasaki | 2004-06-02 04:58 | あらら短歌