<昔話>ワビンさんのゲーム、僕の不毛。

 飯田和敏さんがブログを始めた。今後が楽しみだ。

 飯田さん(通称ワビンさん)は、「巨人のドシン」というゲームを作ったクリエイタなので、知っている人もいるんじゃないかと思う。「べりべり」の薄い読者層の中でゲームに詳しい人がいるかどうか、僕には自信がないけれど。

 僕がこの人のファンになったのは、「太陽のしっぽ」というゲームからだった。

 このゲームは、原始時代の世界が舞台だ。プレイヤーは1人の原始人になって、こん棒片手に、うほうほ、うほうほと世界を走りまわる。レベルアップして乗り物が登場することもないし、あまり走りすぎるとすぐに疲れる。

 一応の目的はマンモスの牙を集めることだ。世界の色々なところにマンモスが生きていて、あるいはその牙が落ちていて、それを拾って自分の村に持ちかえる。持ちかえると自分の家族が(成長するごとにだんだん増えてくる)、歓迎の儀式のようなことをしてくれる。

 牙を探すために、海に潜ったり、マンモスと戦ったりして、プレイヤーはよく死んでしまう。死ぬと、自分の村の新しい若者(じゃなくてもいいけど)を新たに選び、冒険を始める。

 このゲームの魅力の一つは、「言葉がない」ところだろう。同じくワビンさんの傑作「アクアノートの休日」にも同じことが言えるのかも知れないが、アイテムからもマップからも主人公からも、かなり徹底して「言葉」が奪われている。
 イメージとしては、3年前のグアム旅行、じゃないや、「2001年宇宙の旅」の類人猿いっぱいのオープニングに似ているかもしれない。言葉がない。文明もない。そんな世界がずっと続くゲームなのだ。
 主人公の健康状態は、アホ臭い数字なんかでも体力ゲージなんかでもなく主人公の顔色で表される。突然知らない村の人とばったりあったりもするが、言葉がわからないので情報交換もしない。相手が殴ってきたら殴り返す、とか、突然見知らぬ女性に愛される、とか、コミュニケーションの不確かな原型のような行為しか、そこには存在しない。

  *  *  *

 このゲームをやっていた頃、僕はある女の子の「ヒモ」をやっていた。
 一応学生という肩書きはあったものの学校には行きもせず、バイト程度の仕事はしていたが食えるだけの金は手に入らない。とにかく何一つままならない時期だった。
 そんな中、年上の彼女の家に転がり込んだ僕は、家事もせず、ただひたすらにプレステをやって一日を過ごしていた。どう考えても最低な男の生き方である。彼女には謝っても謝りきれない。

 彼女が仕事に行っている間、僕はこの「太陽のしっぽ」で遊んでいることが多かった。未知の島を求めて果て無き海の底を息を止めて歩いた。うほうほ、うほうほ。食糧のない真っ暗な洞窟を、出会えるかもしれない「何か」のためにさまよった。うほうほ、うほうほ。言葉のない世界に埋没することで、言葉だらけの外の世界のことを忘れようとしていたのかもしれない。

 そんな風にして、マンモスの牙がもう十分過ぎるくらいにたまった頃、ゲームは突然エンディングを迎えた。塔のように高く積みあがったマンモスの牙が、「太陽のしっぽ」まで届いたのかもしれない。
 エンディングを迎えると、僕は唐突に、今置かれている僕の現実を認識することになった。

 この閉め切った部屋で君は、何ヲ浪費シテイルノカナ?
 電気代、時間、わずかばかりのカロリー。
 いや違うね、もっとものすごい何かを、今君ハ大量ニ無駄遣イシテシマッテイルネ?

 総毛立つ恐怖を感じる午後四時。言葉は続く。

 トリカエセルノカナ?

 別にエンディングにそう書かれている訳じゃない。僕がそのように感じただけだ。
 エンドロールが終わると、僕の生きていたその「ワビン式」原始時代は急にただの、テレビ画面の中のちっぽけなゲーム画面に変わってしまっていた。僕はもう、その甘くとろけるような、冒険に満ちた世界、言葉の要らない世界を、完全に失ってしまったのだ。いや、たぶん、そんな世界は最初からなかったのだろう。少なくとも僕はそこの住人なんかじゃない。お前の住民票は杉並区に置かれているのだよ。

 女の子と別れたのはそれから間もなくだったと思う。彼女には気の毒だが、僕は完全に交換しなければ修復ができないほど人生に傷をつけてしまっていたのだ。

 実はそこからさらにもっとひどいぬかるみに僕は入っていくことになるのだが、そんなことはまだ分からなかった。

  *  *  *

 ともかく、飯田ワビンさんがブログを始めた。今後がとても楽しみだ。
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by AyatoSasaki | 2004-04-29 15:30